責任感とは、「起きたことを自分のせいだと思い、尻拭いする覚悟」のこと。
私は責任感をこのように定義しています。
では、この責任感は強いほうがよいのでしょうか?
おそらく、答えは「否」。
「強い責任感」という言葉は正と負の両方の文脈で使われるからです。
- あの人は「やる」といったことは最後までやり遂げてくれる。責任感が強くて本当に助かるよね
- あの人は責任感が強いから、何でもかんでも抱え込みがちだよね
…と、こんな具合に。
では、一体なにが責任感の良し悪しを決めているのでしょうか?
最近はずっとこの問いで頭がいっぱいでした。
「考えすぎだよ。どうでもいいじゃないか」と言われそうですね(笑)
しかし、構造化が趣味の私からすると、この問いを放っておくことはできない。
そこで、今回は「責任感の良し悪しを決める構造」について考えてみます。
責任感には「体積」がある
まず結論から申し上げます。
責任感の良し悪しは(責任感の強度×他者満足度×心の余裕度)で決まります。
図で示すとこんな感じです。
「責任感の強度」「他者満足度」「心の余裕度」の3つを掛けた「体積の大きさ」が、責任感のレベルを規定します。
この構造で捉えると、悪い責任感の正体が掴めてきます。
体積が小さい責任感は、周りに迷惑をかける
責任感が空回りするかしないか。
その分かれ目となるのは「他者満足度」と「心の余裕度」です。
他者満足度が低い「独りよがりな責任感」
まずは、他者満足度が低いケースを見ていきます。
先ほどの体積図で示すと、以下のようになります。
いくら責任感の強度が高くても、他者満足度が低いだけで、体積がギュッと小さくなってしまう。
では、他者満足度が低くなるのはどんなときか?
それは「自己保存の本能」に負けたときではないでしょうか。
例えば、「Aさんに任せた方が早いor質が高いのにも関わらず、自分でやってしまう」ことがあります。
それは、Aさんに任せてしまうことで、自分の有能感や居場所が損なわれてしまうと思ってしまうから。
どうしても「組織を活かした他者満足」ではなく、「自分を守る自己満足」に走ってしまう。
こんなのは「独りよがりな責任感」以外の何物でもありません。
他者満足度が高くても「独りよがりな責任感」になることもある
では他者満足度が高ければ、それでよいのでしょうか?
実はもう1軸、考慮すべき要素があります。
それは「心の余裕度」です。
例えば、「チームの大事な仕事は全てリーダーがやってくれる状況」を考えてみます。
大変そうな仕事は全てリーダーがやってくれるので、チームのメンバーとしては楽ができて満足するかもしれません。
この場合、短期的に見ると、他者満足度は高くなります。
しかし、仕事量や責任に大きな偏りがあるとどうなるか?
よっぽど「キャパお化け」と呼ばれるくらいスーパーマンでもない限り、たいていの人は「キャパオーバー」になってしまいます。
心の余裕度が低くなる、ということです。
心の余裕度が低い状態が何か月も続くと、徐々にその人の心が壊れていきます。
その人が倒れてしまうと、一気にしわ寄せがチームメンバーに拡散されます。
すると、次の図のように、他者満足度も下がってしまいます。
では、どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。
もちろん、組織から課される高すぎる目標や、無茶苦茶な組織構造が原因かもしれません。
しかし一方で、個人に目を向けると、「チームメンバーから頼れるリーダーだと思われ続けたい」という、これまた「自己保存の本能」が働いているのではないでしょうか。
そう考えると、「自己保存の本能に打ち勝てるか否か」が、責任感の良し悪しを決める鍵だといえます。
…と言葉にするのは簡単ですが、いざ実行に移すとなると、非常に難しいテーマですね。
とはいえ、まずは「責任感の構造」が少しわかっただけ、よしとしましょう。