この本で解ける疑問は?
- 色々本が出ているけど、結局コンサルのスキルをまとめると何と何?
- 今のコンサルから一皮むけるために必要な技って?
- コンサルを超える技は、どうやったら身につくの?
『コンサルを超える問題解決と価値創造の全技法』って?
本書はコンサル同期からの薦めで手に取ったビジネス書です。
前半は、コンサルの新人研修で習うようなことが簡潔に書かれていました。
ただ問題は後半です。
「あれ?これ、新人研修でも習っていないし、上司からも教わっていないぞ」と思うことが多々書かれてありました。
まあ、当然です。
本書に書かれているのは、コンサルの中でも、大前研一氏のようなスーパーマンが持っているような技なわけで、その辺のコンサルが持っているはずもなければ、教えることもできないはずです。
そんなこんなで読み始めは落ち込んでいたわけですが、読み進めるうちに、「頑張れるかも」と思えてきました。
というのも、「そんなスーパーマンになるために、どんなことを積み重ねればいいか?」がちゃんと書かれていたからです。
もちろん全部は理解できませんでした。
なんせ、スーパーマンの技、ですので。
ですが、1つくらいは、理解ないし真似できるものもあるはず。
今回は、私からみた「1つくらい、理解できたもの」を中心に、本書をご紹介いたします。
というわけで、早速、このビジネス書の「ペライチ」を図1に示します。
-Why-なぜ書かれたのか?
問題解決師ではなく、価値創造者に(505ページ)
これは、本書の「おわりに」から抜粋したキーワードです。
これこそが、本書が想定する「読み手になってほしい姿」であり、本書の目的であると思います。
もう少し、「おわりに」の文章で補足します。
二十一世紀のバリューをつくっていくのは、問題解決のプロではなく、何が価値なのかを判断できる人だ。つまり、磨き上げたJQを持っている人。
真善美の善を理解せず、真ばかり追求していると、IQだけの世界になってしまう。逆に美だけ追求すると、EQだけの世界になって、何でもありになってしまう。本当の価値とは何か、価値の軸をどう持つのか。そういった視点にこだわったうえで、問題解決をしていかなくてはいけない。(505ページ)
この文章からも読み取れるように、「本当の価値にこだわりながら、問題解決をしていくための技法を伝えること」が本書の目的といえます。
-What-なにをすべきか?
では、「本当の価値にこだわりながら、問題解決をしていくため」に何が必要なのでしょうか?
本書では、「コンサルの基本技」と「超一流のスゴ技」の2点を挙げています。
「ペライチ」をズームインしてみます。図2をご覧ください。
まず、「コンサルの基本技」について。
個人的に、「改めて、めちゃくちゃ大事だな」と思ったのがこれです。
Why not yet ?(なぜ、できていないのか?)
よく「Whyを5回繰り返せ」と言われますよね。
しかし、Whyを5回繰り返して、「なぜ、それが問題なのか」を明らかにした後で、
「なぜ、できていないのか?」を考えないと、真のボトルネックは特定できません。
これが意外と、どの問題解決本にも載っていない。もしくは、強調されていないんですよね。
次に、「超一流のスゴ技」について。
理解しやすかったのは、「真善美」の話。
本書では、次の文章が繰り返し述べられています。
何が善かを見極める判断力がなければ、AIに負ける
論理的に「真」を見極めるIQも、何が「美」しいかを審査するEQも、AIにもできるようになってきたそうです。
ですが、何が「善」かというJQを、AIは備えていない。
だからこそ、善=JQを養う必要があると。
そこで気になるのが、「善を養うためには、何が必要か?」というポイントでしょう。
本書では、例示として「宗教」が示されています。
正しいかどうかは別として、宗教を持っている人は、ぶれない自分の軸を持っている。
また、前述の『イノベーションのジレンマ』で有名なクレイトン・クリステンセン教授は、ボスコン出身なのだが、筋金入りのモルモン教徒でもある。(350ページ)
-How-どのようにすべきか?
続いて、Howの部分。
個人的には、「どうやってコンサルを超える?」という論点、その中でも特に「反復や同質的な経験でなく、ゼロベースで新しい挑戦をする勇気を持つ」という点に関心を持ちました。
筆者は、これについて、「ノマド型の生き方」と題して、次のように説明しています。
ノマド型の生き方は二つの意味で面白い。ひとつは、定期的に集団生活を送ることだ。集団生活を行うので、理解が深まる。自分の足跡も残る。集団の中で行動するため、周りをある種、活性化させる。
もうひとつは、そういった環境からあえて別れを選ぶところだ。次の旅に出ていって、今度は旅先で、また同じような形で新しい文化に染まっていく。
すなわち、ノマド型人生とは、自分の持っている良さを行った先に移植しつつ、自分もそこから新しい良さを吸収し、一回り大きくなって次に行く。そういう人生だ。(454ページ)
異質な環境にあえて旅をして、その環境の文化に染まっていく。
この繰り返しで、自分の「価値判断の軸」を再構築することができ、「善を判断する能力=JQ」を向上させることができるのでしょう。
学び
本ビジネス書を通して、次の学びを得ました。
「善=JQ」は「哲学」でも養える
「善」の判断能力を養うために、「哲学」も1つ挙げられると思います。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で「美」や「善」の重要性を謳っている山口周氏も、哲学に注目しています。
例えばマキャベリの『君主論』なんかは、善悪について考えさせられるいい例です。
『君主論』はざっくり言うと、「恐れられるリーダーになれ」というメッセージを発しています。
これだけを読んで、「善だね!」と思う人は、おそらくいないでしょう。
しかし、マキャベリの時代の背景や状況を知ると、一概に「悪だ」と断じるのは難しくなります。
15世紀後半、マキャベリが外交官を務めていたフィレンツェは、列強諸外国からの介入を受けていました。
立地的にも、フランス、スペイン、神聖ローマ帝国に囲まれている、きわめて厳しい状況でした。
そんな中、マキャベリは、北イタリアで猛威を振るうチェーザレ教皇の「結果を出すためには、手段を選ばない姿勢」に感銘を受けます。
それとは対照的に、道徳的であるとするために戦争においては弱小国であったフィレンツェの民に、チェーザレ教皇の姿勢を学んでほしいという思いから、マキャベリは『君主論』を執筆したわけです。
当時の背景も踏まえると、マキャベリがとった行動や思想は、フィレンツェの民から見れば「善」といえるかもしれません。
一概に「悪」といえない点が、『君主論』の奥深さでもあります。
…とまあ、長々と『君主論』を例に述べてきたわけですが、要は「善悪を考えるにあたって、哲学はもっていこいだよ!」ということです。
特定の宗教を持たない人が多い日本人にとっては、「哲学」は「善」の判断能力を磨くのに最適なのかもしれません。
明日から取れるアクション1つ
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