「そもそも」
このキーワードの破壊力は凄まじいですよね。
「そもそも」が議論にもたらす効果は、極論すると次の2点。
- 誰もが常識だと思い込んでいた固定観念を打ち砕き、ブレイクスルーにつながる
- どうでもいい論点をほじくり返されて、これまで積み上げてきた議論がぶっ壊されて、スタートに戻る
よく目にするのは2のパターンですね。
権限や発言力がない人が「そもそも」と的外れなことを指摘してきても、特に問題ないのですが
〇〇部長みたいな人から同じ指摘を食らうと、ザワザワと慌ててしまう人も少なくないと思います。
もちろん、「それはどうでもいい論点です(キリッ)」と言い返して、〇〇部長を抑え込むべきでしょ、という意見もあるでしょう。
しかし、誰もがそう強く在れるわけではありません。
偉い人から「そもそもさ~」と問われると、たとえそれがどうでもいい論点であっても、たいていの人は慌てふためくはずです。
そんな「見当違いなそもそも論」を投げかけてくる偉い人を、ここでは便宜上「そもそもオジサン」と定義しておきます。
「そもそもオジサン」にならないためにも、『自由になるための技術 リベラルアーツ』を読んだ方がいい
では、「見当違いなそもそも論」ではなく「本質を捉えたそもそも論」を考えるためには、どうすればよいのでしょうか?
その答えを授けてくれるのが、山口周氏の『自由になるための技術 リベラルアーツ』です。
この本は「リベラルアーツ」をテーマに、山口周氏と知の巨人たちの対談が記されています。
研究者や経営者、アートを専門とする方など、実に多様な方々と対談していく中で「リベラルアーツ」の革新へと迫っていく。そのような本です。
本書によると、リベラルアーツは次のように定義されています。
リベラルアーツを、社会人として身につけるべき教養、といった薄っぺらいニュアンスで捉えている人がいますが、これはとてももったいないことです。本書では再三にわたって指摘してきた通り、リベラルアーツのリベラルとは自由という意味であり、アート(アーツ)は技術のことです。
(中略)
では、ここで言う自由とは何のことでしょうか?もともとの語源は新約聖書のヨハネ福音書の第八章三十一節にあるイエスの言葉、「真理はあなたたちを自由にする」から来ています。
p270
つまり、重要なのは 、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるのではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということなのです。そしてこの選球眼を与えてくれるのがまさにリベラルアーツなのです。
p273
要は、リベラルアーツとは
自由になるための技術であり、
真理を見極めるための技術であり、
「疑うべき常識」と「見送っていい常識」を見極める技術を意味していると。
常識を見分ける秘訣は「比較」にあり
確かに、疑うべき常識とそうでない常識を見分けることができれば、的外れなそもそも論を避けることができます。
では、どうすれば常識を見分けることができるのか?
そのヒントは「比較」にあります。
例えば、会社ならではの常識がありますよね。
私は、以前コンサルタントとして働いていたこともあって、色々な会社の常識に触れてきました。
例えば、銀行のプロジェクトのときは、最終的にA事業部の部長に合意を取る場合、まずはその下の課長に合意を取ることが「常識」とされていました。
いきなり部長と会議を設定しようものなら、「お前は常識知らずだ」と言われてしまいます。
一方で、その後に担当したベンチャー企業はどうだったか。
銀行のときの学びを活かして、まずは課長レベルの人と会議を設定しました。
すると、「そんなことやっていたら、いつまでたっても物事が決まらないでしょ。その資料、部長にチャットで投げといて。で、スタンプついたら、もう進めていいからさ」と指摘を受けました。
以上のように、銀行とベンチャー企業を比較してみないと、「それぞれの会社ならではの常識」を認識するのは難しい。
同じように、
「今だからこその常識」なのか「昔からの常識」なのかは、現在と過去を比較しないと判別できない。だから歴史を学ぶ必要がある。
「みんなにとっての常識」なのか「自分にとっての常識」なのかは、人と話す中で、相手と比較しないと判別できない。だから人との対話が必要。
こんなことが言えるんじゃないかと思います。
実際に、『自由になるための技術 リベラルアーツ』でも、出口治明氏との対談の中で「リベラルアーツを学ぶ方法」が語られています。
APUとしての方針は以上ですが、僕個人として学生に言い続けているのは、「人・本・旅を通じて勉強してほしい」ということです。たくさんの人に会い、たくさんの本を読み、たくさんいろんなところに行って見聞を広めて成長してほしいと願っています。
p84
ここに、『自由になるための技術 リベラルアーツ』がなぜ対談形式で書かれているのか。その答えが書かれています。
リベラルアーツを学ぶための要素は「人・本・旅」である。
対談形式を取っているのは、「人」との対話を通して、対談相手と自分を比較しながら、見聞を広めていくため。
「リベラルアーツ」の本質を伝えるために、対談形式で表現しているあたりから、筆者のディティールへのこだわりが伝わってきます。
以上の学びを1枚に整理すると、こんな感じですね。
まとめましょう。
「そもそもオジサン」になりたくない方。
自分が囚われている「常識もどき」を振りほどき、自由を勝ち取りたい方。
こういった方は、ぜひ本書を読んでみてください。
本を読む前の「ちっぽけで不自由な自分」から解放されるはずです。