先日、文章力の本をまとめた記事を書いたら、思った以上に反響があった。
800以上のはてなブックマークがつき、コメントも多く頂けて、書評ブロガーとしては、この上なく嬉しいことである。
もちろん、肯定的な意見ばかりではなく、ネガティブなコメントも頂戴した。
その中でも特に多かったのは、
「文章の本といったら、谷崎 潤一郎らの『文章読本』だろう。わかってないな」
…と、こんな類の意見だ。
これらの意見は、素直に嬉しかった。
「もっとオススメの本があるんだったら、喜んで読みたい」と思えたからである。
一方で、内心「いやいや、『文章読本』なんて時代遅れじゃないの?」と思っている自分も確かに存在していた。
そんなこんなで、早速、谷崎 潤一郎氏の『文章読本』を読んでみたので、所感を述べたい。
「古い本はわかりにくいし、当たり前のことしか言っていない」…そんな薄っぺらい解釈をしてしまった話
ぶっちゃけ、最初は『文章読本』の良さが全くわからなかった。
理由は2つある。
1つ目の理由は、この本は昭和の初期に書かれていることもあって、見慣れない言い回しや漢字が多かったからだ。
例えば、次の文章。
一体、現代の人はちょっとした事柄を書くのにも、多量の漢字を濫用し過ぎる幣があります。これは明治になってから急にいろいろの熟語が殖え、和製の漢語が増加した結果でありまして、その弊害につきましては後段「用語について」の項で詳しく述べるはずでありますが、しかしこの弊害の由って来る今一つの原因は、昨今音読の習慣がすたれ、文章の音楽的効果と云うことが、怱諸に附されている所に存すると思います。
p43
この文章を読んで、スラスラ頭に入ってくる人は、どれくらいいるだろうか。
もちろん、私の読書不足が原因だと重々承知している。
しかし、それでも「正直わかりにくい」と思ってしまうのは、私だけだろうか。
少なくとも、文章術を学びたいなら、『「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた。』のような、最近出版されたばかりの本のほうが、読みやすく感じないだろうか。
2つ目の理由は、『文章読本』に書いてある文章術は、別に目新しいものではないからだ。
例えば、
文章を綴る場合に、まずその文句を実際に声を出して暗誦し、それがすらすらと云えるかどうかを試してみることが必要
p44
など、例を挙げ出すとキリがないが、『文章読本』に書いてある文章術の多くは、最近出された本にも書いてある。
それも当然であろう。
『文章読本』などの名著に記されたエッセンスを、最近の本もしっかり受け継いでいるはずだから。
以上を踏まえると、文章術について同じエッセンスが書いてあるならば、少し読みにくい『文章読本』よりも、最近出されたような本を読んだほうが効率的ではないだろうか。
…と、最近まで考えていたわけだが、この解釈は薄っぺらいと言わざるを得ない。
私みたいな駆け出しブロガーよりも何倍も書いているはずの方々が、口を揃えて「『文章読本』を読むべきだ」と言っているのには、別の真意があるはずだ。
実用書にも4種類ある
独立研究者の山口 周氏は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』で、「役に立つ」と「意味がある」の2軸を提示している。
超高級ブランド品のように「役には立たないけど、意味があるもの」もあるわけだ。
実は、実用書にも同じような役割分担がある。
「役に立つか、意味があるか」と「読みにくいか、読みやすいか」である。
①読みやすくて、役に立つ本
1種類目は「読みやすくて、役に立つ本」だ。
例えば、以下の記事で紹介している本には、読んだその日から使えるハウツーが、非常にわかりやすくまとまっている。
どれも「すぐにでも、文章力を30点から60点に」と思う人にピッタリの本だ。
自信をもって、そう言える。
文章術の本に限らず、「役に立つ本=読んだその日から使えるハウツー本」を読むのであれば、わかりやすいに越したことはない。
②読みにくくて、役に立つ本
一方で、読みにくいハウツー本に価値はあるだろうか。
読者がハウツー本を読むときは、「明日から使える技を教えて欲しい」と思っているはずである。
そんな中で、見慣れない漢字や回りくどい言い回しが多用されていたら、どう思うだろうか。
まず間違いなく、「こんな本、買わなきゃよかった」と後悔するはずだ。
「役には立つけど、読みにくい本」には、手を出すべきではない。時間の無駄である。
③読みやすくて、意味がある本
では「読みやすくて、意味がある本」はどうだろうか。
例えば、『なぜ僕らは働くのか-君が幸せになるために考えてほしい大切なこと』を読んだことはあるだろうか。
漫画形式の本だから、子どもでも気軽に読むことができる。
その一方で、読めば読むほど、大人でも「なぜ自分たちは働くのか?」という本質的な問いに深く入り込んでいける。
「なぜ自分たちは働くのか?」
おそらく、この問いについて考えたからといって、すぐに何か目に見える成果が出るわけではない。
だから「役に立つ本」とはいえないかもしれない。
しかし、間違いなく「読む意味」はある。
このような「読みやすくて、意味がある本」は、我々の人生を豊かにしてくれる、貴重な本といえよう。
④読みにくくて、意味がある本
4つ目の「読みにくくて、意味がある本」についても触れておきたい。
例えば、古典や哲学書などが「読みにくくて、意味がある本」に分類されるわけだが、これらの本を読む価値はあるのだろうか?
この問いについて答えてくれるのが堀 紘一氏の『できる人の読書術』だ。
ハンバーガーのように柔らかい食べ物ばかり食べていると咀嚼力が落ちるように、読み飛ばしがクセになっていると、読解力は一向に伸びない。
堅いものをゆっくり時間をかけて噛んで食べていると咀嚼力が高まるように、難しい部分が理解できるまで粘り強く読んでいると読解力はアップしてくる。
難所に差しかかっても、私は決して読み飛ばさない。読み飛ばして本を理解できるほど、私は器用ではないと思っている。
読み飛ばしが多くて歯抜けのような状態では、本当に読んだとは言えない。
p111ページ
上記の内容を踏まえると、「堅い(難い)ものを咀嚼する力=読解力」を鍛えるためには、古典を解説した本よりも、古典そのものを読んだほうが効果的だといえる。
したがって、「読みにくくて、意味がある本」にも間違いなく価値はある。
『文章読本』は「役に立つ本」ではなく「意味がある本」と捉えるべき
以上を踏まえて、もう一度『文章読本』を読んでみたところ、新しい発見があった。
まず、「役に立つもの=文章力をすぐにでも30点から60点レベルに上げてくれるもの」だと期待して『文章読本』を読むのは間違っている。
そんな読み方をしては、この本は間違いなく「読みにくくて、役に立つ本」に位置付けられてしまう。
そりゃ「わかりやすさ」だけでいえば、後出しで出版された本のほうがわかりやすいに決まっている。
オリジナルよりも、オリジナルを解説した本のほうがわかりやすいのは当たり前だ。
では、『文章読本』を「役に立つ本」ではなく「意味がある本」だと捉え直して読んでみると、どうだろうか?
- なぜこの漢字や言葉遣いにしたのだろうか?当時の時代背景が関係しているのだろうか?
- 文章を書く上で、昔も今も変わらず大切なことは何だろうか?一方で、昔は重視されていて、現在ないがしろにされている技術はないだろうか?
- 日本語本来の特性や、日本人の国民性までさかのぼると、「日本語を書く」ためには何をおさえておく必要があるのだろうか?
- そもそも、「文章を書く」「文章」とは何だろうか?
…このような問いと向き合いながら、昔ながらの表現を咀嚼しながら読み進めていく。
すると、最近出版された本を読んだだけでは、絶対に得られない学びを得ることができる。
その学びは、明日からすぐに使えるものではないだろう。
しかし、今後何十年も文章を書き続けていくうちに、じわじわとボディブローのように効いてくるはずだ。
これが、今も『文章読本』を読むべき理由なんじゃなかろうか。
「文章読本なんて古い本、読む意味ないっしょ」などと薄っぺらいことを言っていた過去の自分に、思いっきり飛び蹴りをくらわせたい。