「文章を書くときは、必ず読み手はだれか?を考えなさい」
この一言に異論がある人は、ほぼいないはずだ。
というよりは、そもそも「文章を書くときは、読み手のことを考えるべきなのだろうか?」と疑問に思うことすらなかった人がほとんどだろう。
私も例外なく
「文章はターゲット設定がカギである」
「読み手にどうなってほしいかを最初に設定しよう」
と信じてきた一人だ。
そんなおめでたい脳みそだったわけだが、本屋を歩いていて、衝撃的なタイトルの本に出くわした。
読みたいことを、書けばいい。
思わず、本を二度見してしまった。
「え、読みたいことを書けばいい?それって、読み手が読みたいことを書きましょう、ってことよね?」
そう思いながら、本書を開くと、「はじめに」のところで早速出鼻をくじかれてしまう。
本書では、「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」ということを伝えたい。いや、伝わらなくてもいい。すでにそれを書いて読む自分が楽しいのだから。
自分がおもしろくもない文章を、他人が読んでおもしろいわけがない。だから、自分が読みたいものを書く。
それが「読者としての文章術」だ。
p6
そう、この本のメインメッセージは「自分が読みたいこと書きなさい」である。
よくあるアドバイスである「読み手のことを考えなさい」の「読み手」とは「自分」を指していると。
なるほど。
たしかに「読み手のことを考えろ」なんて言われても、ぶっちゃけ誰のことを考えたらいいかよくわからない。
たった1人にしか見せない文章であれば、メールなりLINEで送ればいい。
しかし、ビジネス文書なりブログの文章を読むのは「不特定多数の誰か」である。
この「不特定多数の誰か」は、1人ひとり違った価値観や考え方を持っているので、「読み手のことを考える」にも限界がある。
そんな「どこの誰かもわからないよう人」の気持ちを伺いながら、時には自分に嘘をつきながら文章を書く。
これのどこが楽しいのだろうか。
だったら、「不特定多数の誰か」ではなく、文章を最初に目にする「自分」に向けて書けばいいじゃないか。
文章と文書は違う
しかし、そう簡単に心を入れ替えることはできない。
なぜならば、私たちは「書くときは、読み手のことを考えなさい」と刷り込まれているからである。
さて、どうしたものか…と途方に暮れる必要はない。
この呪縛から解き放たれるためには、「文章」と「文書」の定義をクリアにしておくとよい。
本書によると、「文章」と「文書」の違いはこうだ。
レポート、論文、メール、報告書、企画書。先にも述べたが、これらは「問題解決」のためであったり「目的達成」のためであったりする書類だ。
世に出回っている「文章術」の本は、なぜかこれらの書き方を懇切丁寧に教えようとしている。だが、それらは文章というより、業務用の「文書」というべきものではないだろうか。
しかし、いまネット上にあふれているのは「文章」のほうだ。書きたい人がいて、読みたい人がいる(かもしれない)、それが「文章」なのである。
p49
たしかに、思い返してみると、我々が普段から「読み手のことを考えろ」と言われていたのは、仕事のときである。
仕事で書く「文書」は、読み手に動いてもらわないと話にならないので、読み手のことを考えざるを得ない。
しかし、「文章」は別だ。
本書を読むに、文章は「書きたい人が書けばOK(読みたい人はいるかは知らんけど)」だとわかる。
こう考えると、「書くときは、読み手のことを考えなさい」という思い込みから少しは開放されないだろうか。
文章は、事象×心象で書く
では、「文章」は何も考えずに気軽に書けばよいかというと、実はそういうわけでもない。
本書によると、ネットで読まれている文章の9割は「随筆」とのことだ。
では「随筆」とは何かというと、これまた筆者が秀逸な定義を記している。
わたしが随筆を定義すると、こうなる。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
p54
どうやら、文章ないし随筆を書くときは、ただの「感想文」ではダメらしい。
事実と心象を掛け合わせる必要がある。
しかも、これらの比率がまた何とも難しい。
書くという行為において最も重要なのはファクトである。ライターの仕事はまず「調べる」ことから始める。そしたら調べた9割を棄て、残った1割を書いた中の1割にやっと「筆者はこう思う」と書く。
つまり、ライターの考えなど全体の1%以下でよいし、その1%以下を伝えるためにあと99%以上が要る。「物書きは調べることが9割9分6厘6毛」なのである。
p147
たしかに、何の実績もない人が「私はこう思う。なぜならば~」なんて偉そうに講釈を垂れてきても、誰も振り向いてはくれないだろう。
文章・文書・論文に共通する「1つの掟」がある
このとき、ふと思い出したエピソードがある。
以前、コンサルティングファームで受けた新卒研修の話だ。
新卒研修の最終日、講師をつとめていた熟練コンサルタントから次のような言葉をいただいた。
「君たちは明日から、1人のコンサルタントとして現場に行ってもらう
ただ、3ヶ月前は大学生だった君たちには、正直なにも期待していない。
クライアントも、ぶっちゃけ君の意見や考えなんて求めていないだろう。
そんな君たちが価値発揮できるポイントが1つあるのだとすれば、それは"事実"を集めてくることだ。
事実だけは、上場企業の有名社長が語ろうと、カリスマコンサルタントが語ろうと、君たち新人が語ろうと、その価値が変わることはない。
だから、まずは現場を走り回りなさい。そして、事実を徹底して集めなさい。
事実を伝え続ければ、そのうちクライアントも、君の"意見"にも耳を傾けてくれるはずだ。」
仕事においても、求められているのはいつも事実や事象だ。
誰も、意見や心象なんてものには期待なんてしていない。
先ほど述べた「文章」も、仕事で書く「文書」も、
もちろん「論文」も同様に、
書いてあることの中心は「事実」でなくてはいけない。
これが、文章・文書・論文に共通する「1つの掟」なのだ。
こんなことに今さら気づいた1日であった。
以上、本書で得た学びを1枚で図示すると、次のようになる。
もし私同様に、「文章を書くことについて薄っぺらい理解をしているかも・・・」と危機感を抱いた人がいれば、本書を強くオススメしたい。